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 第5回 その3)・・宇佐八幡宮から勧進の石清水八幡宮を訪ねて
石清水八幡宮・アイコン 訪問先  石清水八幡宮・・・平安京鎮護の為、宇佐八幡宮から勧請  〔H19/1/28()〕
所在地  京都府八幡市男山
交 通  最寄り駅:京阪電車「八幡市」駅 〜 「男山ケーブル」
所縁の地  宇佐市
 京都府八幡市男山に鎮座する。平安京の鎮護のために宇佐八幡宮から勧請された。現在の全国に散在する八幡宮の多くはこの石清水八幡宮から勧請された神社が多い。源氏の棟梁、源義家(1039〜1106)は別名八幡太郎と言いこの石清水で産湯を使ったとされ、源頼朝は鎌倉に幕府を開いた時にはこれらの縁から鶴岡八幡宮を石清水から勧請した。いわば鶴岡は宇佐八幡宮の京都支店鎌倉出張所とも言える存在である。しかし武家の信仰が多かったことにより、関東に八幡宮が増えたのもこれまた真実である。石清水八幡宮一の鳥居に掲げられている額
 男山の山頂近くは八幡の藪知らずの名前のとおり、竹薮ばかりであり、この竹を発明王エジソン(1847〜1931)が電球のフィラメントとして使ったのは余りにも有名である。
 またこの地は、木津川、桂川、宇治川が合流し、淀川となる地点であり対岸は光秀、秀吉の天下分け目の天王山があり、攝津、河内、山城の3カ国の国境にもあたる。すぐそばには国道1号線が走り、大阪府と京都府の境のある洞ヶ峠は筒井順慶の日和見で有名。  (S.M)
 当日の訪問地 (はクリックで拡大)  周辺マップ  右のバーをスライドさせて下さい
石清水八幡宮拝殿
石清水八幡宮拝殿
一の鳥居
男山山頂の本宮への参道
     一の鳥居に掲げられている社名の額
男山麓の一の鳥居
本宮拝殿正面上部、H19/01現在改装中!
本宮拝殿正面上部
現在(H19/01)改装中!
本殿改装中の為に裏手に設けられた「仮本殿」
本殿改装中の為
裏手に設けられた「仮本殿」
 本殿の向かって右側の様子
 「石清水八幡宮」の由来
【 祭 神 】
以下の三神を祀り、「八幡大神」と総称する。

中御前 - 誉田別命(ほんだわけのみこと・第15代応神天皇)
西御前 - 比淘蜷_(ひめおおかみ・宗像三女神)
東御前 - 息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと・神功皇后)

【 由 緒 】
 清和天皇が即位した翌年の貞観元年(859年)の夏、弘法大師空海の弟子であった南都大安寺の僧行教が宇佐神宮に参詣した折に「われ都近く男山の峰に移座し国家を鎮護せん」との神託を受けた。これを受けて、その翌年の860年、清和天皇の命により社殿を建立したのを創建とする。「石清水」の社名は、もともと男山に鎮座していた石清水社(現在は石清水八幡宮の摂社)に由来する。
 以来、京都の北東にある比叡山延暦寺と対峙して京都の南西の裏鬼門を守護する王城守護の神、王権・水運の神として皇室・朝廷より篤い信仰を受け、天皇・上皇・法皇などの行幸啓は250余を数える。
 また、源氏をはじめ、足利氏・徳川氏・今川氏・武田氏など、多くの清和源氏の中の河内源氏の系統が氏神として信仰したことから武神・弓矢の神・必勝の神として崇敬された
 当社の御神前で7歳の春に元服して「八幡太郎」と称した源義家の父の源頼義が、河内源氏の氏神とした壺井八幡宮は、石清水八幡宮を源氏の本拠地の河内国石川郡壷井(大阪府羽曳野市壺井)に勧請したもの。また鎌倉の鶴岡八幡宮は、源頼義が石清水八幡宮(あるいは壺井八幡宮)を勧請した鶴岡若宮にあり、源頼朝が幕府を開く際、鶴岡若宮を現在地に移し改めて石清水八幡宮を勧請したことを創始とする。
 創建以来、幕末までは神仏習合の宮寺で石清水八幡宮護国寺と称し、東寺(教王護国寺)や清水寺、比叡山延暦寺、仁和寺、鹿苑寺(相国寺・金閣寺・銀閣寺)など、多くの寺院との歴史的関連が深い。また、河内源氏と競合相手と考えられている伊勢平氏もこの社を重んじており、平正盛が造営の功を上げたことや平清盛ら伊勢平氏の主だった人々が八幡宮の臨時際で舞人を演じたとする記録が残されている。
 明治時代(1868年)の神仏分離までは護国寺や極楽寺、弁天堂を始め「男山48坊」と呼ばれる数多くの宿坊が参道に軒を連ね、寛永の三筆として知られる松花堂昭乗も八幡大菩薩に仕える社僧の一人であった。
 1868年(明治元年)、仏教的神号の八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)は明治政府によって禁止された。石清水八幡宮や鶴岡八幡宮の放生会は中秋祭に改めさせられた。
 1871年、官幣大社に列するとともに、社号を「男山八幡宮」に改名されるが、1918年には石清水八幡宮に復する。
 また現代では、松下電器産業の創業者でもあり「経営の神様」とも称された松下幸之助が深く信仰したほか、厄除開運、必勝、商売繁盛、家内安全などの御利益を願って全国から参拝者が足を運ぶ。 
 
 エジソンの電球と竹のフィラメント
男山山頂境内、本宮南西にある「エジソン記念碑」 西暦1879年にトーマス・アルバ・エジソンが灯火の革命ともいえる炭素白熱電球を発明しこの石清水八幡宮境内に生えている竹が電球の命ともいえるフィラメントの材料として最も適していることを知り電球発明の翌年から十数年もの永い間この竹を使ってたくさんの炭素電球を造り世界の人々に電灯のありがたさを知らされました。つまり、この八幡の竹が炭素発熱電球の実用化に大きな役目をつとめたのです。
 そこで1929年に電灯発明50年を記念して世界各国で電灯黄金祭が催された時、日本もこれに加わり記念事業の一つとして電球の発明と切っても切れない関係にあるこの土地に記念碑(写真)を建てエジソンの功績を永久に伝え讃えることになったのです。
 最初に建てられたのはこの境内北側に続く場所でしたがエジソン彰徳会の手で昭和33年にここに移され更に昭和59年10月に現在の姿に再建されました。 (現地の案内板より)

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